[book] Binary Hacks
「Binary Hacks —ハッカー秘伝のテクニック100選」
高林 哲、鵜飼 文敏、佐藤 祐介、浜地 慎一郎、首藤 一幸 著
低レイヤ、生のコンピュータに近い領域のテクニックを解説した本です。
では、なぜ今、バイナリなのか。 道具の力とは、抽象化の力だ。泥くさい現実を特定の切り口で簡略化することで、本質に関係のない膨大な雑事を気にせずに、考えたい問題のみに集中できる。だが、抽象化にはそれが成り立つ前提が必ずある。システムが正常動作している間は前提の存在はほとんど気にされることがないが、システムがリミットぎりぎりまで使い込まれて、マージンがなくなってくると、抽象化の壁がほつれてくるのだ。抽象化されたはいれべるな世界でいくら強固なロジックを組み立てても、土台がぐらついたらそのロジックはぺしゃんこだ。それを建て直すには、少なくともほつれた抽象化の壁のひとつ向こうの世界を知ってないとどうにもならない。
「本書に寄せて」より
これですよね。これ。UML2.0や.NETを身に着けたところで、移ろいゆく技術に流されていては、悲しいですよね。やっぱりバイナリよ、バイナリ。
オライリーの通販で購入したので、amazon.comで予約中にもかかわらず、すでに手に入れてしまいました。
おまけでもらったコーヒーマグがこれ。
[spa] 大江戸温泉物語
東京・お台場(最寄り駅は、ゆりかもめ・テレコムセンター駅)にある健康ランド型の日帰り温泉施設です。一度、行ってみたかったんです。 平中海中温泉 や 新穂高の湯 のような野趣溢れる露天風呂もそそられるのですが、ディズニーランド張りに管理されたレジャー施設というのも大好きです。
浴衣
ここで好きな絵柄の浴衣を借りて、館内は浴衣でそぞろ歩きます。
館内
館内はこんな感じで、夜店や屋台が連なり、お祭りの縁日を思わせる演出になっています。腕に巻きつけたバーコードを見せると、遊び放題、飲み放題、食べ放題、そして、お支払い放題です。
ドクター・フィッシュ
いま流行のドクターフィッシュの初体験です。ぬるま湯のお湯に手をつけると、お魚が寄ってきて、皮膚の角質を食べてくれます。弱い低周波マッサージを受けているようで、少々くすぐったいです。美白効果、健康効果は今ひとつ不明ですが、一度体験すると面白いです。
ちなみに私の足に群がる魚の動画も撮影しましたが、成人男性の足では見苦しいので掲載を控えます。^_^;;
おつまみ
食事は別のところで済ませていたのですが、結局、生ビールに冷奴、ホタルイカの置き漬けを頼んでしまいました。さすが商売上手!
宿泊施設・黒船キャビン
カプセルホテル形式の簡易宿泊施設です。休憩処でも個別テレビ付きのリクライニングチェアーで休めるのですが、+αのお支払いで静かなお休み環境とお布団を使えます。しかし、となりのおじさんのイビキは煩かったです・・・
どこでもネット
使い放題、払い放題のPHS接続です。
朝食
朝食も大江戸温泉の中で豪華に「さわら定食」でした。ほんとにお金の使わせどころを突いてきます。
感想
お湯は、塩素臭のちょっと強い、茶褐色のお湯でした。(これが、消毒剤の臭いだったら、怒っちゃいます!) 広い湯屋の中央に一段高い大きな湯船があって、「千と千尋の神隠し」を思わせます。ジェットバスとか露天風呂もありましたが、割と「ふつー」の施設でした。お湯の温度は非常に熱く、「ゆっくりと湯船で休んでないで、外に出てお金を使いなさい」という思慮遠謀なのでしょう。
[travelogue] 京都紅葉散策 東山編 (第一日目)
祇園白川界隈
地下鉄 東山駅で下車して知恩院に向けて白川沿いをぶらぶらと歩いていたら、和菓子屋さんの店先で、「一本でもいいから、どうですか?」と声をかけられて思わず買ってしまいました。
一澤信三郎帆布
何故、知恩院近辺をうろうろしていたかというと、今回、一澤信三郎帆布のバッグが購入したかったからです。現在、一澤信三郎帆布を手に入れることができるのは知恩院そばのこの店舗ただ一ヶ所です。
お店は大変な行列でした。結局、午前中に到着してから小一時間行列することになりました。そして、今回手に入れたバッグがこれです。
別に2点セットでも何でもありません。お一人様2点以内と言われて2点買わないと損した気分になるのでドラムバッグとトートバッグを合わせて買ってしまいました。色も信三郎帆布に生まれ変わってから豊富になっていますですが、この日のマイ・フェイバァリット・カラーは若草色でした。職人さんが一点一点丹精込めて手作りしていることから大量生産は不可能。在庫がなくなれば閉店です。これだけの人気では、当分はネット販売に回ってくることはなさそうです。
早速、旅行中に使ってみましたが、人気が出る理由が分かりました。シンプルですが、大変に「がっちり」とした作りで、安心して使えます。ちなみに同志社小学校の指定通学鞄もこの一澤信三郎帆布です。実は私の父は同志社中高大の卒業生で、息子である私も同志社に入れたかったようです。父が東京に転勤になるときの条件は「息子が中学校に入る頃には関西に戻してください」というものでしたが、会社の事情がそんな個人的な事情を許す訳もなく、ましてや肝心な息子に有名私立中学校をお受験する実力もないまま、公立中学、高校と進み、大学も都内の地味な学校でした。ただ一つ後悔は駅伝でもラグビーでも何でも良いから年に一度は愛校心をくすぐるイベントが欲しかったですね。「母校を卒業した有名人は?」との問いに「なるほど・ザ・ワールド」の司会をしていたあの人!だけでは・・・。ちなみに十代で一世を風靡した後藤久美子さんが著書「ゴクミ語録」の中で、彼女の行きたい大学にわが母校を挙げていました。白衣を着てフラスコを振っているイメージが良かったのだそうです。学園祭にやってきた当時まだ高校生の小川範子さんは「私の偏差値では皆さんの大学には入れません。」と言っておきながら翌年、早稲田大学に入学しました。厭味だ。結局、わが母校を卒業した有名人は、未だロボットのような動きのあの人だけです・・・(笑)
欲しいものが手に入ったので、のんびりとお寺巡りです。当然、信三郎帆布の紙袋を嬉しそうに抱えての散策です。
知恩院
京都の名刹として名前だけは知っていたのですが、訪れてみると圧巻でした。木造建築の威風堂々とした姿も立派ですし、紅葉が映えるお庭も見ごたえがありました。
あまり鳴らない鴬張りの廊下で、控えめに足踏みしてみました。
坂本龍馬・中岡慎太郎像
円山公園の中に立つ幕末の志士 坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像。
高校生のころ、司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」を読んで、思いっきり影響を受けて、寝ても覚めても龍馬、龍馬という時期がありました。当然、修学旅行の自由行動は伏見・寺田屋見学です。今でも坂本龍馬の自由な生き方はとても好きなのですが、彼が亡くなった年齢をいつの間にか過ぎてしまいました・・・
高台寺
豊臣秀吉の正室おね(ねね)が晩年を過ごした寺です。最近では、この高台寺から二寧(二年)坂へと続く道が「ねねの道」としてお土産物屋さんなどが連なる観光名所になっています。
石塀小路
京都の花街は一見さんがふらふらと迷い込んでこないようにするために、ぱっと見には行き止まりのように見えるつくりになっています。でも実は通り抜けれるようになっています。
観光客が舞妓さんの衣装をレンタルして、記念撮影のために京の町を闊歩しています。でも歩き方も立ち振る舞いも、本物の舞妓さんとは似て非なる観光客が、格好だけを真似して町を歩くというのは如何なものでしょうか?
ちなみに私も人生でただ一度、舞妓さんを呼んだお座敷にお呼ばれしたことがあります。ちなみに舞妓さんというのは誤解されていることがあるようですが、あくまでも芸妓さんの見習いさんを指します。二十歳を過ぎて舞妓をやっている人がいたら、それはどうなの?という若葉マークの人たちです。したがって、本物の舞妓さんをお座敷に呼ぶ、というのは真っ当なお座敷遊びのあくまでオプショナルコースなのです。一見さんがおいそれと体験できるものではないのです。ここまで書いてお分かりでしょうか?実は私は良いとこの子なんです。誰も気づいてくれないので自分で書きますが、やんごとなき家柄のお人なのです。(たまたま、親類にその筋に顔の効くお方がいただけなのですが・・・)
坂本龍馬墓所(霊山護国神社)
京都・近江屋で暗殺された坂本龍馬と中岡慎太郎が眠る墓です。
龍馬の墓から望む京都市街は絶景です。しかし、この絶景を望むためには、歩いて登って来なければなりません。運動不足の我が身では青色吐息で漸う辿り着きました。
清水寺
京都観光の定番中の定番、清水寺です。しかし清水寺は四季折々に別の姿を見せてくれますね。現在、新世界七不思議にノミネート中ということもあり、しっかりとお参りしてきました。
ニシンうどん
ホテルのそばのチェーン店のうどん屋さんで「ニシンうどん」を注文しました。本来、京都の名物はニシン蕎麦ですが、このお店は讃岐うどんの店ですので・・・。ちなみに今も昔も京都でニシンが水揚げされるわけではありません。北海道で漁れたニシンを日干しのカピカピの身欠きニシンにして、北前船で若狭湾まで運び、山を越えて京市中まで運んだニシンが京都の名物になっています。昔の京都では、こんなものしか動物性タンパク食品がなかったのです。私の母は当時は鴨川でも漁れたらしい「ごりの甘露煮」が好きでした。これもいわゆる保存食ですね。京都は漬物にしても寿司にしても保存食中心の食文化です。
嵯峨野編(二日目) につづく
[travelogue] 京都紅葉散策 嵐山・嵯峨野編 (第二日目)
嵐山・渡月橋
引きの写真はのんびりした風景ですが、渡月橋の上は観光客で大混雑でした。桜の季節の嵐山も見事ですが、紅葉の嵐山も見事でした。
天龍寺
京都五山の一位。京都の名刹中の名刹です。
宝厳院
常寂光寺
落柿舎
松尾芭蕉の弟子、向井去来の庵です。去来が庭の柿を売る約束をしたのに、その夜のうちに、柿がすべて風で落ちてしまったため、こう呼ばれたそうです。飾り物ではないのでしょうが、柿の実がたわわに実っていました。たしかにあの柿を無闇と取ってしまっては大顰蹙だと思いますが・・・
二尊院
小倉百人一首は、この二尊院のある小倉山で選んだから、こう呼ぶのですよ。とガイドさんが言っていました。
祇王寺
平家物語の祇王と祇女の悲恋話で有名な祇王寺です。ここまで来ると少し人気も途切れて人里は離れて隠れ住んだ土地だなという風情があります。嵐山近辺は、修学旅行生相手の、ほんと原宿状態ですので。
滝口寺
嵐山温泉・駅の足湯
京福電鉄・嵐山駅のホームに設けられた足湯です。嵐山には元々温泉など湧き出していなかったのですが、数年前に観光の目玉として温泉掘削が行われました。他の入浴施設は宿泊するか、豪華な昼食とのセットでしかお湯を楽しめませんので、とりあえずここでは足湯で我慢です。
天山の湯
京都にも健康ランド型の入浴施設がありました。嵐山から嵐電で4駅。有栖川駅から徒歩数分のところに天山の湯はありました。しかし、この有栖川という名前。どこかワイドショーで聞いたことがあるような、ないような。
飲んではいけないお湯を少し舐めてみたら、とても塩味が効いていました。確かにナトリウム泉です。ちょっとした高級旅館のような造りで近所にあったら何度か通いたくなるような御湯屋さんでした。もっとも浴室も露天風呂も建物の2階にあるのが今時です。
御室・仁和寺
このサイトの名前の由来となった「御室」です。幼い頃に過ごした付近を嵐電に揺られながら、つらつらと記憶を辿っていたら、子供の頃、通っていた幼稚園の名前が「御室幼稚園」だったと思い出しました。うーん、渋い名前だ。ちなみに、電子機器メーカーのオムロン(Omuron)は、その昔、この御室に工場があったためオムロンです。
京都の平均的(?)なお寺のスケールって、こんなものです。子供の頃の私はお寺というのは、こういうものだと思ってました。大きな山門(三門)があって、五重の塔があって、国宝の仁王様や仏様がある。人の常識なんて、ほんと環境次第です・・・(笑)
龍安寺
石庭で有名な龍安寺です。これも子供の頃は日本庭園は、みーんな、こんなものだと思っていました。だって、何も知らない子供にこれを見せて、日本庭園ってこんなものですよと親が教えれば、それを鵜呑みにしますよね。確かに日本庭園の代表作ではあるのですが、標準ではないです。組織の標準・基準を作成する上で、代表を物差にするのか、標準(アベレージ)を物差にするのかで、組織の志も変わってくるのでしょうか???
嵐電
京福電鉄 嵐山本線・北野線の愛称が「嵐電」です。私も子供の頃から「らんでん」、「らんでん」と呼んでいました。昔はパンタグラフがちょっと変わっていて、棒が一本、電車の屋根に斜めに立っていて、その先の滑車が架線に接触する構造でした。うーん、年齢がばれてしまう。
スクラッチカード式に乗車する日付を削る、ちょっと珍しい一日乗車券でした。しかし、この日は計4回、乗り降りしたので十分に元は取れました。
私は決して「そっち系」の人ではありません。子供の頃に、いつも乗っていた嵐電が懐かしかっただけです。そうに違いない。
清水寺ライトアップ
季節限定の清水寺のライトアップです。清水寺本坊・成就院の回遊庭園の夜間公開もあったのですが、ここで伺ったお庭の「見立て」のお話が、とても面白かったです。お庭にある何の変哲もない石を指して、「岬の灯台」、「鶴の巣篭もり」、「着物の袖」と見立てていきます。そして見立ての決めの一言がこれ。「そう言われたら、なんとのう、そう見えるなぁ」。すごい!。Boochさんに聞かずとも、Rumbaughさんにお伺いを立てずとも、こんなところに「モデリング」の極意があるではありませんか。(ほんと?)
南座
東京では歌舞伎座。京都では南座です。年末の顔見世興行の準備をしていました。京都では、この顔見世興行のニュースを聞くと年の暮れをひしひしと感じます。
感想
こういう旅は、気持ちとお金の余裕がある人がするもののようです。貧乏人の私は、ここぞとばかりに、あれも見るぞ、これも写真に収めるぞとレンタサイクルを借りて嵯峨野の地を駆け巡ってしまいました。
お堂の軒下で日がな一日、紅葉を愛でる。そんな余裕がある大人に早くなりたいものです。
高雄編(三日目) につづく