男もすなる日記といふもの
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。それの年のしはすの二十日あまり一日の、戌の時に門出す。そのよしいさゝかものにかきつく。ある人縣の四年五年はてゝ例のことゞも皆しをへて、解由など取りて住むたちより出でゝ船に乘るべき所へわたる。かれこれ知る知らぬおくりす。年ごろよく具しつる人々なむわかれ難く思ひてその日頻にとかくしつゝのゝしるうちに夜更けぬ。
『卑怯』について
最近私の中でキーワードとなっている単語に「卑怯」という言葉があります。
ベストセラーになっている藤原正彦著「国家の品格」に次のような一節があります。
いじめを本当に減らしたいなら、「大勢で一人をやっつけることは文句なしに卑怯である」ということを、叩き込まないといけない。たとえ、いじめている側の子供たちが清く正しく美しくて、いじめられている側が性格のひん曲がった大嘘つきだったとしても、です。「そんな奴なら大勢で制裁していいじゃないか」というのは論理の話。「卑怯」というのはそういう論理を超越して、とにかく「駄目だから駄目だ」ということです。
これをネタになにかブログに書こうと思っていたらテレビのドラマでも似たようなエピソードが登場しました。
小学校に入って間もないヒロインの少女が弟をイジメるガキ大将に 果し状を出します。内容はこうです。「子分を引き連れて私の弟をいじめるのは卑怯です。ついては一対一で決闘しましょう」 惚れ惚れする女っぷりです。
決闘を聞きつけたヒロインの家族やガキ大将の父親が果し合いの場に駆けつけます。駆けつけたガキ大将の父親は、その場の様子を見るや否や何も聞かずに自分の子に折檻を加えます。理由はこう。「決闘相手の年下の女の子は一人で来ているのにガキ大将は子分を二人引き連れていた。これは卑怯だ。」明快な教育方針です。ガキ大将は言い訳します。「こいつらは立会人だ。手は出していない。」でもガキ大将の父親は容赦しません。どう言い訳してもガキ大将の側が卑怯なのはあきらかです。卑怯なことはいけないのです。暴力沙汰に及んだことが悪いのでも、相手のご家族に心配をかけたことが悪いのでもないのです。卑怯な行いは何が何でも悪いのです。
私が小学校2年生のとき、こんなことがありました。クラスメイトに暴力を振るう男の子がいて担任の先生が困っていました。何度注意しても行いを改めない生徒に手を焼いた担任の先生は次のような振る舞いに至りました。
学級会の場で、クラスメート全員に語りかけて、「○○君が悪いことをしないようにするためにどうすれば良いと思いますか?」クラスメートは口々に発言します。
「空気椅子の刑にすればよい」、「席を隔離すればよい」、「みんなで口を
きかないようにすれば良い」。
悪いのは暴力をはたらく男の子ですから、みんなで公明正大に袋叩きにできます。担任の先生は何も言わずに生徒たちの発言を聞いています。
「生徒の自主性?」、「民主主義教育?」。ちゃんちゃら笑わせてくれます。この担任の先生は一切の体罰も暴力も加えませんでしたが、無慈悲な人民裁判に引きずり出された、この生徒の心の傷は察するに余りあります。
結局この子の暴力は担任が変わるまで改まることはありませんでした。
「下流社会」によると朝の情報番組でフジテレビを見ている比率は下流社会で高いそうです。ということで4月からは朝のテレビは「めざましテレビ」から「純情きらり」に変えると心に誓った私でした。(おい、卑怯から引き出された結論がそれかい!)
『ニトロセルロース』について
テレビ番組の話題ばかりで、私が一日中テレビを見ているように誤解(?)されそうですが、またテレビの話から。
NHK教育テレビの高校化学講座で火薬の話をやっていたので見てしまいました。番組の趣旨としては、高校生に火薬の製造方法を学んでもらおうということではなく4月の化学講座開講の導入として火薬の話から化学に興味をもってもらおうというものでした。なかなか学校の実験室では試せない黒色火薬の作り方から、爆着と呼ばれる火薬を使った金属の接合方法の紹介まで、疾うの昔に高校を卒業した我が身でも面白い内容でした。
懐かしかったのはニトロセルロースと呼ばれる火薬の作り方と発火のデモンストレーション。時効だと思うので告白しますが、実は私は中学生のころに先生に隠れてニトロセルロースを作ったことがあります。弁解しておきますが、ニトロセルロース(綿火薬)は爆薬というより、瞬間的に燃焼してパッと消えてしまう手品のタネにも使われる物質ですので、それほどの危険はないのですが、でも火薬は火薬ですし先生に隠れて作ってはまずいですよね。
で、そういえば他にも私が合成した物質で小ビンに入れて家に持ちかえったのがあったよな、と思って探したら、出てきました。
安心してください。^_^;
ラウリルアルコールから合成した、ただの「合成洗剤」です。中和し損ねた炭酸ナトリウムが残留している恐れがあるため口に含むと体に悪そうですが、基本的には毒物でも火薬でもありません。
でも覚えているものですね。学校を卒業して数年(?)。「ラウリルアルコール」なる単語を見たり聞いたりしたのは、この合成洗剤をつくったとき一度きりなのですが、人の記憶とは不思議なものです。自ら興味をもったものは、記憶のどこかに染み込んでいるのでしょうね。
造形集団海洋堂の軌跡
3月8日から5月7日の予定で松本市美術館で開催されている美術展「造形集団 海洋堂の軌跡」を見学してきました。
食玩(一個150円から200円位の「おまけ」つきのお菓子)で一世を風靡した海洋堂の作品展です。
松本市美術館に関しては、計画段階から豪華な箱物施設の建設に賛否両論あったのですが、ことここに至って、原価数十円のお菓子のおまけを展示するのはどうなの?と心配ではありますが、吹き抜けの大きなガラス張りの壁面に作り付けで設けられた小さなショーケースに指先ほどの大きさの海洋堂のおまけが展示され、その向こう側に芝生のきれいな緑が広がっている風景は、なかなかにシュールではありました。
同時開催の海洋堂代表取締役社長 宮脇修一さんの講演会も聴講したのですが本当に面白いお話でした。海洋堂の歴史を辿った当時の写真をプロジェクタで映し出しながら、ほとんど2時間ノンストップで宮脇さんが一人で バラモンやレッドキング、バルタン星人の造形のすばらしさを熱く語られました。
海洋堂の製品というと、造形師、原型師と呼ばれる職人さんを前面に押し出し作家性の高い会社だと思っていましたが、宮脇さんの講演の冒頭の「良いものさえ作っていれば良しとする孤高のものづくりをしてきた人達が必ずしも世間から評価されず名前を忘れ去られている例を知っています。ちょっとした工夫で世の中に受け入れられる、自分をアピールできるビジネスモデルのようなものを、この講演で知ってもらえればと思います」という言葉にガツンとやられました。
しかし宮脇さんの講演を聞いて感じたのは、ビジネスモデルやソロバン勘定はあくまで好きなこと、やりたいことを実現するための手段だということ。
例えば、大林宣彦さんの「さびしんぼう」を見て、主演の富田靖子さんの ファンになったそうです。(私は新尾道三部作の「ふたり」のほうが 好きですが・・・)ファンになったら等身大の富田靖子さんのフィギュアを 作成しました。それで尾道の記念館に展示してもらえるように仕事を取ってきました。結果として、富田さんと対談したり、一緒にラジオに出ることができました。というエピソードが語られました。まさにやったもの勝ちの世界。
もう一つのエピソードは大阪万博をテーマにミニフィギュアを作ったエピソード。
万博は昔から作りたかったテーマだったそうです。だからチョコエッグ(食玩)の成功を足がかりに、お役所である万博協会を動かしました。パビリオンを作った松下電器や施工者の大林組にも出向いて著作権使用許諾の交渉しました。という話がありました。これも初めにビジネスありき、というよりも、やりたいことがあって、あとからビジネスがついてきました、という例でしょう。
講演の締め括りに、お子さんを連れたお母さんから、「なぜあんなに安価な価格で、精密なフィギュアを作って売ることができるのですか?」という質問が出ましたが、宮脇さんから中国の安価な労働力に頼った人海戦術の分業により一切機械を使用せずに製造している舞台裏が説明されました。
宮脇さんの関心が造形の世界だけに向かっているのではなく、中国ビジネスや、その先のアメリカ市場にも向けられていることに感嘆しました。
揃いのウィンドブレーカ
春になると思い出す思い出があります。私が大学に入学したときの話です。私は大学に入ってすぐに天文部に入部したのですが、ときはバブルの最高潮。夏はテニス、冬はスキーサークルのメンバーをはじめとして、大勢が揃いのウィンドブレーカをあつらえて大学内を闊歩していました。
私たち天文研の1年生も揃いのウィンドブレーカ作成の話で盛り上がり、4年制大学を卒業して編入してきた、ちょっと変わった同級生を筆頭にウインドブレーカ作りの計画を進めました。
しかし、私の入部した天文研は硬派でした。学園紛争華やかなりし頃は 『闘う天文研』として名を馳せたそうです。
揃いのウィンドブレーカなどミーハーだと先輩に一蹴され、新入部員の 企ては頓挫しました。
私は今でも(ピー)の揃いのウィンドブレーカを見ると羨ましく思います。若かりし頃に果たせなかった夢なので・・・
このときの天文研のメンバーは、今では社会の各方面で活躍し、大学で天文学を教えている人もいるのですが、私は彼女の学生時代を知っています。だから先生なんて人種は信用できないよな、と益々確信を深めるのでした。