ちはやふる日記


『卑怯』について

2006年04月10日 12:18更新

最近私の中でキーワードとなっている単語に「卑怯」という言葉があります。

ベストセラーになっている藤原正彦著「国家の品格」に次のような一節があります。

いじめを本当に減らしたいなら、「大勢で一人をやっつけることは文句なしに卑怯である」ということを、叩き込まないといけない。たとえ、いじめている側の子供たちが清く正しく美しくて、いじめられている側が性格のひん曲がった大嘘つきだったとしても、です。「そんな奴なら大勢で制裁していいじゃないか」というのは論理の話。「卑怯」というのはそういう論理を超越して、とにかく「駄目だから駄目だ」ということです。

これをネタになにかブログに書こうと思っていたらテレビのドラマでも似たようなエピソードが登場しました。


小学校に入って間もないヒロインの少女が弟をイジメるガキ大将に 果し状を出します。内容はこうです。「子分を引き連れて私の弟をいじめるのは卑怯です。ついては一対一で決闘しましょう」  惚れ惚れする女っぷりです。

決闘を聞きつけたヒロインの家族やガキ大将の父親が果し合いの場に駆けつけます。駆けつけたガキ大将の父親は、その場の様子を見るや否や何も聞かずに自分の子に折檻を加えます。理由はこう。「決闘相手の年下の女の子は一人で来ているのにガキ大将は子分を二人引き連れていた。これは卑怯だ。」明快な教育方針です。ガキ大将は言い訳します。「こいつらは立会人だ。手は出していない。」でもガキ大将の父親は容赦しません。どう言い訳してもガキ大将の側が卑怯なのはあきらかです。卑怯なことはいけないのです。暴力沙汰に及んだことが悪いのでも、相手のご家族に心配をかけたことが悪いのでもないのです。卑怯な行いは何が何でも悪いのです。


私が小学校2年生のとき、こんなことがありました。クラスメイトに暴力を振るう男の子がいて担任の先生が困っていました。何度注意しても行いを改めない生徒に手を焼いた担任の先生は次のような振る舞いに至りました。

学級会の場で、クラスメート全員に語りかけて、「○○君が悪いことをしないようにするためにどうすれば良いと思いますか?」クラスメートは口々に発言します。
「空気椅子の刑にすればよい」、「席を隔離すればよい」、「みんなで口を きかないようにすれば良い」。

悪いのは暴力をはたらく男の子ですから、みんなで公明正大に袋叩きにできます。担任の先生は何も言わずに生徒たちの発言を聞いています。

「生徒の自主性?」、「民主主義教育?」。ちゃんちゃら笑わせてくれます。この担任の先生は一切の体罰も暴力も加えませんでしたが、無慈悲な人民裁判に引きずり出された、この生徒の心の傷は察するに余りあります。

結局この子の暴力は担任が変わるまで改まることはありませんでした。






「下流社会」によると朝の情報番組でフジテレビを見ている比率は下流社会で高いそうです。ということで4月からは朝のテレビは「めざましテレビ」から「純情きらり」に変えると心に誓った私でした。(おい、卑怯から引き出された結論がそれかい!)



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