戸石城 攻城!

大人のトレイル歩き旅講座の二日目は砥石城を訪れました。武田晴信(信玄)を村上義清が撃退した砥石崩れの舞台です。
安藤百福センターに宿泊して翌朝、目の前に広がった浅間山。
百福センターの屋上から見た月。
百福センターの周囲が茜色に染まっていきます。林の中にあり小鳥の声が賑やかでした。

朝食も豪華でした。

車で砥石城へ移動。

市神宮。真田幸綱が砥石城を治めていた時代の城下町の伊勢山集落 縦町に市が立っていた名残だそうです。

砥石城の下からの眺め

陽泰寺。村上氏でも真田氏でもなく海野氏ゆかりのお寺だそうです。この地は次々に領主を変えているのですね。

なんの変哲もない坂道ですが、往時の竪堀の名残だそうです。

「この先行き止まり」のちょっとシャレの効いた看板。

この地形も堀と土塁の名残だそうです。そういえば奥の地形が人為的に盛り上げられたように見えます。

畑の間の道を少し上がると眺望が広がる鳥居のある場所に到着しました。

「黄金の滝」の標柱。滝も見たかったな!と後から調べたところ水が流れ落ちる滝があるわけではなく、断崖に咲くオウバイの黄色い花を滝に模して、このような地名がついているのだそうです。

桑畑だったころの農道に合流しました。

急に立派な看板が登場しました。幕末の佐久間象山が松代から上田の活文禅師のもとまで毎日馬で通って勉学に勤しんだと伝わる松代街道の跡だそうです。

沢の地形を利用して作られた竪堀の跡だそうです。

「水の手(山城の水源)」の跡だそうです。金網で囲われて保存されていました。

「水の手」の下には水が湧き出ている痕跡がありました。

山城の典型的な地形がわかるようになってきました。ただ、こうして当時の地形がわかりやすいように木を切ったり藪を払って整備しているおかげだそうです。

稜線の上に出るまであと少し。

稜線の上

桝形城のピークまで最後の登りです。

桝形城の頂上部分に到着。
桝形城の尾根の突端から見下ろした風景。真田の荘が一望にできます。群馬県の沼田へと続く通称 真田道の往来もここで押さえられたそうです。


戦への備えとして槍にするための竹を植えていた名残だそうです。

空堀跡。尾根を空堀で分断することで、各々の砦を独立して運用することができたそうです。味方に対しては縄梯子を下ろして砦の間を往復し、敵は空堀の両側の砦から挟み撃ちにする仕掛けだそうです。



砥石城 本城跡の看板。思ったよりも平な地面が広がっていました。

切岸で段々畑のように区画が区切られています。一気にピークまで駆け上がれないように工夫されています。

石垣跡。虎口の両側を石垣で高く盛り上げて守りを固めたそうです。




大手口。近世の平城の大手口とは異なりますが、砥石城の規模の大きさを想像させる縄張りでした。

切岸、覚えました。

整備されて、斜面を巻く歩道が作られていますが、往時は切岸の急な傾斜を縄梯子で往来したというのが想像できます。

戸石城の看板前に到着。
上田市街地を上から見下ろした風景。上田電鉄の千曲川にかかる赤い橋も写っています。
清掃工場の煙突前に広がった森が上田城です。手前の鉄塔は地元民が見ると上田城址公園に立つ「愛の鐘」。

復元された櫓門の横を通ります。

駐車場のある入り口まで無事に下山。

帰りに「あぐりの湯こもろ」に立ち寄り休憩しました。この時期になると売っているいちご大福を購入しました。

白あんの上品な甘さが絶品でした。