3月11日の備忘録
3月11日の大地震発生時、私は震源から遠く離れた長野県にいたため、幸いにして地震被害を受けていませんが、当日の記憶が後日に何かの役に立つかもしれないので覚えているうちに書き記しておきます。
14時46分頃に最初の地震が発生したときは長野県塩尻市内のビルの4階で椅子に座ってデスクワークをしていました。初期微動が到達した時点では地震に気付く人も少なく、私自身も「最近、残業が続いたから目眩でもしているのかな?」程度の認識でした。その数秒後に本震が到達し、さすがにフロアにいるメンバーが全員気付いてざわつきました。しかし、非常にゆっくりした揺れだったため、同僚など「強風で揺れているの?」と言っていたくらいでした。
その後、二度ほど余震を感じましたが大きな揺れではなかったため、ネットなどで地震情報をわざわざ調べることもせず、みな続きの仕事を続けているような状態でした。
最初の地震から30分ほどすると、職場の館内放送で会社が緊急災害対策本部を立ち上げたとの連絡が流されましたが、私自身の感想は「余震が続いているとはいえ、この程度の地震で大げさな」といったものでした。震源から100キロ以上離れた長野県内での最初の認識はこんなものでした。
16時を過ぎると、「長野県内のJRも全て運行を中止している」とか「東京方面で大きな被害がでている」などの情報が入ってくるようになり徐々に事態の深刻さを知るに至りました。
夕方になるに連れて伝わってくる情報も増えて来たのですが「東京町田のスーパーの立体駐車場が崩落した」とか「千葉県のコンビナートで大火災が発生している」といったものでした。震源に近い東北地方で何が起こっているのかはとんと分からず、ただただ気味の悪さを感じる状況でした。
首都圏で大量の帰宅難民が発生して大混乱しているという情報の合間に、徐々に震源に近い東北太平洋側地域で深刻な事態に陥っていると分かって来たのは深夜を迎える頃になっていました。