災害ボランティア体験記
全国的に猛威を振るった平成18年豪雨による災害の復旧ボランティアに参加したので、その記録を残します。
全国的には岡谷市の大規模な土石流が大々的に報じられましたが、同じ諏訪湖半の諏訪市でも、家屋の浸水や小規模な土石流による被害を受けていました。
旧東洋バルブ工場跡に集まったボランティアの人たち
災害復旧ボランティアと聞いて、高校生や大学生といった若い人たちで溢れかえっているのかと、ちょっと歳をとった私はビクビクしていましたが、何のことはない、ボランティアの年齢層は上高地の観光客と、ほぼイコールでした。つまり中高年の人たちが中心。私など十分に若い方でした。この若い方というのが後々無理な作業に繋がっていくのでした・・・
災害復旧現場へ向かうボランティアの人たち
災害復旧現場へはトラックの荷台に載せられて運ばれていきました。高倉健主演の仁侠映画の一シーンのようでなかなか勇ましいのですが、実際に乗ってみると、とても大変でした。今回のボランティア作業で一番危険な作業は、トラックでの移動ではないでしょうか?
当たり前なのですが、トラックの荷台は人を乗せるようには設計されておらず、そこに大の大人が十数人乗せられると、トラックから振り落とされないように踏ん張るだけで大変でした。
災害復旧作業本番
ここからは、泥との格闘作業ですので、デジカメでの撮影などという悠長なことはやっていられませんでした。
私の派遣されたのは北真志野地区。ここに最初は50名のボランティアが派遣されました。新川に注ぐ名もない小川が大雨で小規模な土石流を起こしていました。岸辺にある数件の民家の軒先に30cm位の深さで泥が流れ込んでいました。(深さを定規で測ったか?いえ、私の長靴の丈が丁度30cmちょいでした・・・)
一番最初に取り掛かった作業が、軒先に流れ込んだ泥をバケツですくう作業。ホットケーキの生地のようにゆるゆるの泥なので、バケツで容易に掬い取ることができます。ただし、水分をたっぷりと含んでとても重いです。この作業が一番大変でした。腰をかがめないといけないし、足元は泥に埋まって身動きが取れないし、まさに悪戦苦闘でした。
で体力だけあればよいかというと、そうでもない。頭も結構使う作業なんです。勢いよくバケツ一杯に泥をすくうと、途中でバケツリレーをするボランティアから重たくて顰蹙を買います。なんで、適度に7割がた泥を入れるのがミソ。また、バケツはあわてて近所のお店から買い集めたのでしょう。大きさもばらばらでした。したがって、なんでもかんでも、7割がた泥を入れると、やはりバケツリレーの途中で悲鳴が上がります。吉野家の店員さんも真っ青の、繊細な盛り付け技術が必要とされました・・・
体力的にも限界に来たので次にやったのが、バケツリレーの役。これは、腰を屈めなくても良いし、盛り付けに気を使わなくても良いし、最初の作業からすると楽でした。しかしバケツリレーもそれなりに気は使うのでした。それは、ひとつの列に泥を入れたバケツと、空になったバケツが交互に行き交うのですが、絶対に泥を入れたバケツの流れを止めてはいけない!ということ。泥を入れたバケツは重いんです。これの流れを止めてしまうと、顰蹙を買います。したがって、空のバケツが回ってこようと、被害宅のご家族が差し入れのジュースを運んでこようと、まずは泥をいれたバケツをリレーするのです。まさに優先度ベーススケジューリングを実地で体験させてもらいました。
そうこうすると、別の災害現場に派遣されて、でも仕事がないので、こちらに回ってきたボランティアが50人ほど増員されたので、バケツリレーの列を交代しました。
つぎにやった仕事が、泥で汚れたバケツを川で洗う作業のお手伝い。 泥を何度も運んでいると、バケツに泥がこびりついて、だんだん重くなって、泥も入らなくなります。そこで、件の洪水を起こした川でバケツ洗いとなります。私のいったときは、すでに川も穏やかで、数センチの水深しかありませんでした。そこへ数人のボランティアが長靴姿ではいって、バケツ洗いをしました。
私は本当は川に入ってジャブジャブとバケツ洗いをしたかったんです。でも、私が入ろうとした刹那、対岸から10人近くのボランティアが川に入ってしまったのであきらめました。私は本当に川に入りたかったんです。いい大人になって、川で水遊びなんてなかなか機会がないじゃないですか。泥と格闘するよりも、川面でお仕事をしているほうが、とても涼しげに感じる天候でした。
私にとって、Wikiサイトを立ち上げることも、森の時計でコーヒーミルを挽くことも、川面でバケツを洗うことも、すべて「やってみたい」という同一ベクトルにあるのです。やりたいんだから、いいじゃないですか! 誰がなんと言おうと。それがどんなに無意味に見えることでも・・・ ^_^;
作業は最終的に3時過ぎには完了しました。最初は、これだけの泥をどうやって運び出すことができるのかと気の遠くなる思いでしたが、徹底した人海戦術とボランティアのやる気で、ほとんどの泥を運び出すことができました。リーダーも調整役もいない、100名近くの烏合の衆が何ができるのかと疑心暗鬼もありましたが、一人一人のやる気と工夫で何とかなるところを体験できたことはとても貴重でした。